SSブログ
娘の事情 ブログトップ

みんながんばっているんだな~と思って帰った日 [娘の事情]


15日の土曜日。
息子の小学校のPTA仲間・母の会で8人が集まった。
中学校も100%持ち上がりな学区だったので、
小・中といわば同じ顔ぶれで、なんだかで繋がりがある彼女達。


時々集まっては、情報交換し合って、
しゃべりまくるパワフルなお姐さん方の集まり。
PTAなんて、とってもガラじゃなかったんだけど、
5年生の時に息子から「どうしてお母さんは友達がいないの?」と言われた。

はぁ~~っ? 
「母は友達もいない孤独な女に見えますか?」と聞き返した。

「ちがうよ~、ボクの友達のお母さんとお友達じゃないから」
かわいい頃のぼんだった。
ぼんの友達のお母さん達は、多くがPTAの役員になっていて、
その集まりが楽しそうに見えたらしい。
「ボクの友達のお母さんとも友達になって!」というのが彼の言い分だった。
後になって聞き返すと「そんな事を言ったかな?」状態なんだけど。

ず~っと仕事をしてきたので、低学年の時は学童に預け、
みんなが役員・・・夜の会議もあったし、会計もやってたし・・・
少年サッカーやっていたから、そっちでも役があれば、引き受けていたし・・・

PTAは専業主婦の方々がやってくれればいいし、
正直、その方々と話が合うとは思えなかった。


でも、その一言がひっかかっていたのも事実。
6年になった時に「卒対、一緒にやらない?」と誘われて、
あ~、卒対くらいならね・・・と引き受けたのが彼女達との出会い。

話してみると、専業主婦じゃ、もったいない人、
真逆に・・・私などにはない癒される何かを持っている人も。
なんでもスバスバと指摘してくれる人。

多くが、一番下の子の母だったので、
受験情報、先生情報、地域の情報を沢山持っている。
女姉妹の末っ子状態で、彼女達からいろんなことを教えてもらった。


子ども達が成長してしまい、子育ての話から、
病気、子どもの結婚、孫・・・と話題は移行するが、
年に2回程度は集まっている。

15日は「親の介護」に終始したかな。

一人娘の0さんは姫路とこっちを15年間往復している。
その間にお父さんが亡くなり、今は母親がひとり暮らし。

実の母を引き取って5年間看たSさんの母は、去年8月に亡くなっていた。
最期は入院だったけれど、食事も受け付けず、23キロになってしまった。
点滴など延命治療を拒否するのに日々、病院との闘いだったと。

だから、病院で看取りたくないという別のOさんは、
実の父母を名古屋から呼び寄せ、在宅で介護中。
寝たきりの父親とぼけかけた母親、2人の介護進行中。

実の母と同居しているIさん、
内科で外科から出されている痛み止めを飲まないようにと言われていたのに、
お婆ちゃんはきちんと飲んで、胃に穴が開いて、緊急手術をしたとか・・・
そのS外科はあやちゃんのリハビリを拒否した病院。
手術から術後の経過の話などを詳しく聞けた。

遅れてきたTさんは、この一帯の大地主。
姉妹なので長女の彼女が養子縁組して結婚。
お爺ちゃん(父)が亡くなったことで・・・
なんと、相続問題で離婚したと爆弾発言!
入籍時にお爺ちゃんと養子縁組していたので、
元・ダンナが相続する分もあり、何を思ったか商売を勝手にたたみ・・・
とおかしな言動があったとか・・・
推定何億?? 持つ者の悩みはよく分からないが、
相続されてしまったものは手放し、離婚したと。
そこの母も家の母と同じような症状。

こうしてみると・・・女が親を引き取り、面倒をみる。
これが定番のようだ。

自分の親なので、けっこう言いたい放題・・・
キレる時もあるし・・・義理の関係なら、こうはいかないよね~!

今後もなにかと病院・施設情報交換で、
役立ちそうな母友だったし・・・
近くでみんな頑張っているんだ~と思えば、
心強くもあり、愚痴のひとつも聞いて貰えそうだった。
越さない限り彼女たちと共に老い、茶飲み友達になり・・・
ボケたら面倒みてね~と言い合う。
大地主のT家が大きいので、そこはたまり場ね!と決めてきた。

 


コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

ムスメ・・・手術を決意するの巻 [娘の事情]



2年半前に見つかったワタシの子宮筋腫。
もう、閉経するだろう! するだろう! と
痛みと出血の多さに耐えていたんだけど・・・終わらね~だよ! ヽ(`Д´)ノ

母友の中には、半年分のナプキンを通販で買いだめした途端に、
「あがり」になったという人がいまして・・・
「全く、余ったあのナプキン、どうしたらいいのよ? 捨てようかしら」
って言うんで、先輩母友
「大丈夫よ・・・もう少ししたら、尿漏れで使えるようになるから、
 取っておきなさいよ~!」と。


なるほど~。ためになります!

ワタシも半年分買ったら、終わりになるかな?と思っていたんだけど・・・


しばらく行っていなかった婦人科。年末に行きました。


結果、MRIで子宮筋腫だけではないことが判り、取ってしまうことにしました。


筋腫は4センチ1個と小さいのが5~6個。
けれども、子宮内膜症の一種らしい子宮腺筋症が6センチ。
左卵巣膿腫と三種混合!

問題は・・・
開腹手術なんで、入院だけで11日。
退院後も元通りに動けるには、しばし休養が必要。


母をそんなに長期でショートでお願いできるものか・・・
みんな、3か月前から予約してあるのだ。
10月に認定の見直しをしてもらい「要介護3」にはなったけれど、
利用できる範囲内の点数内かも気になった。


この際、特養・・・入れてくれませんか? って、言ってくださいとケアマネに頼む。


それでも、1月下旬はダメだけど、上旬の取れていなかった日が取れて繋がる。
それで19日間、お願いできるとの返答。
点数も介護保険内で大丈夫だとのこと。


なので、年明け早々、スッパリと切って取ることにした。


いろいろあった今年の後半・・・いろんなことが動いているんだと思う。



15人居る従兄弟の中で、初めて一人、天に召されてしまいました。

余命1年と言われてから3年。
頑張ったのですが・・・25日のことでした。

もう、いよいよ最後の治療という段階で、
母親である伯母をみている次女が病院へ連れて行ったそうです。


伯母もかなり認知症が進んでいるんだけど、、
従姉にすれば、それでもお別れをさせてあげたかった。

けれども、まだ意識がはっきりしている本人に、怒られたって・・・
泣きながら、電話がかかってきた。

どちらの気持ちも理解できるだけに、切ない話。
それから5日後、息を引き取りました。

海を渡った北の大地・・・葬儀などは年末でこんな時期なので、行けなかったのですが、
従兄弟の世代も、そんな世代になったんだな~って、思う年の暮れですわ。


30日に帰宅したあやちゃんは、今のところ、ごきげんさんです。
怖いんで、歯磨きとか顔を洗うとか・・・トイレのことなど衛生面のことが注意できません。
お風呂も・・・

それで、表情がころっと変わったら・・・せっかくのお正月が台無しになりそう~。

なんとか、平穏に過ごしてもらいたいです。 これでいいのか?な気持ちもあるんだけど。


調子のいい時に、病気なんで入院して手術するから!
という娘の事情だけは話した。

この後、何度か言わないとならないとは思うんだけど、
ご本人、それで来月19日も連泊することは、ご本人、まだ知らない。


       PB231962.JPG


コメント(2) 
共通テーマ:健康

痛みが通じたのか? [娘の事情]


娘の子宮摘出手術は無事に終わったです。
悪性であれば連絡あるし、それもなく、見た目もそんなとこはなかったようだ。


ダンナ様に「生ごみ」と言われたnakasama・・・なんて可哀想(ノ_-。)



家は、ダンナそういうのダメなんで、全くダメなんで、見たら倒れちゃうかもしれないんで、
先生には見せなくていい! と言ってあった。
やすちゃんも来る予定だったので、その役目はお願いしてあったけど、
男2人居るならって・・・やすちゃんは別の日に来てくれることに・・・

で、ダンナにその役が回った。
先生は、布で被せ見せないようにしてあったらしいのだけど、
「見ます」との反応に、ちっと驚きながらも見せてくれたらしい。
ダンナの目の前でハサミを入れられ、裏返しにされ、それを見たようなんだけど・・・
「女房の子宮になんてことをする!」みたいな気分だったらしい。

私の感想は・・・またいつか。
ま、ダンナにしては「よくがんばりました!」でした。


で、入院した6日の話。
夕方・・・ケータイ可能なゾーンで電源を入れると、
あやちゃんを預かってもらっているショートステイとケアマネから着歴。

直ぐに連絡をすると・・・
あやちゃんが熱はあるし、嘔吐も下痢もある・・・という内容だった。

ええええええ~~~~っ!く("0")>

認知症になってからというもの、何年も風邪ひとつひかず、
そういう症状はない丈夫な身体になっていた。


それが、ここに来て・・・なぜ、また、この日のこのタイミング?


タイムラグがあったので、今は提携の病院で診てもらっているとのこと。
病院に連れて行ってもいいか、確認をしたかったようだ。
いやいや、連れて行ってくれて、ありがたかったです!

本来なら、ご帰宅願うような状態らしいんだけど、
事情が事情。
明日、手術を控えてもう、後戻りもなにもできない!

それらを全部理解して、引き受けてもらったので、ありがたかった。

何度か様子を聞くために連絡をしなければならなかった。

その日は病院で点滴をしてもらい、帰って来たそうだ。
症状から「ノロウィルス」も疑われたし「インフルエンザ」だって。
でも、ノロの検査キットがないので、翌日、再度診てもらうことになったらしい。


翌日の手術当日は、とてもそれどころじゃ~ないし、
ダンナに任せた。


結果としてはノロでもインフルでもなく、
一時は部屋から出られないようにされていたようだけど、
疑い晴れて一過性のものであることが分かった。
2日後にはケロっとして、皆さんと一緒に過ごしていたようだ。

娘の人生初の手術に・・・何か以心伝心するものがあったのか?
と不思議なもんを感じないでもない。



また、身内が・・・亡くなった。
今度は札幌の叔父。
まだ、きちんとした連絡が入らないのだけど、脳出血らしい。
15日に入院し19日に。

あやちゃんの7人いる兄弟で3人目。一番、気が合う叔父だった。

札幌・・・大雪の道路を、ニュースで見る。
今の私にはあの道は歩けない!
転んだら、間違いなく下腹部が痛い! だろうな~と思っている。
考えただけで、恐い。

今日がもう通夜だという。

早いスケジュールに、やすちゃんも戸惑う。
もっといい季節に逝けなかったのか? 叔父上と思ってしまった。


コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

誰にも言えない術後の話。 [娘の事情]


toroさんに教えてもらった子宮摘出の手術をされた方の手記・・・
ためになりました。

入院前は揃えるもの・・・退院後は術後の生活や容態。
自分と比べたり、この先のひと月後、ふた月後、だんだん良くなることを頭に描けます。

あと、もうひとつご報告・・・
縫うのは、中は手縫いだけど・・・外側はホッチキスでした。
せっかく、アドバイスを頂いたのに、活かし切れなかったです。
手縫いでもいいよ!とも言ってくれたんですが、
ホッチキスの方がキレイだ!とか、言われちゃうとね。任せるしかなかったです。
主治医と執刀医が違って、なんだか、いくつか話しが違うことがあり、
その度にストレスでした。

 





辛かったのは、術前に出してもらった増血剤・フォロミア錠。
それが合わなかったようだ。
薬局からの「薬の説明書」にはなかったんだけど、
ネットで調べたら、稀に下痢、逆に便秘になるとある。
真逆な症状が出るって、ど~いうこと?

私の場合は・・・下痢までいかない軟便。
それが3日に始まった生理と重なって、もう、なにがなんだか分からない。
どうなってんの状態。
どんだけトイレに行けばいいの? 
赤と黒の人間ところてん器状態なのだった。

それでも、最後の2錠になっても、その薬のせいだと分からなくて、
10分の9日間は飲み続けていたのだ。


そして、手術に突入。

尿の管も取れて・・・
重湯のような食事が始まり、点滴を持って歩ける術後2日目?辺りから、
その続きのような軟便状態が続く。
1日に何度行くの私? 状態。
更に、出口付近に到達すると、その辺が非常に痛い!!

その痛みを早く回避したくて、トイレに行くとおでまし時はまた痛い!
シャワートイレがあって、よかった!
そんなのがない時代だったら、どうなっていたことか。


術後の痛みって、こういうこのなのか?
私の場合は排便痛。


傷口は特に痛くはない。あっと言う間に、痒くなったくらいだ。
咳はまだいい。風邪はひかなかったので、自分で弱にコントロールもできる。
問題は、突然襲ってくる、くしゃみ。これは痛かった。
あと、笑うのがね・・・見舞いの母友に、笑わせたら恨むから!
とか言っておいたのに・・・
自分で言ったことが可笑しくて、笑っている。
痛いのに・・・笑っていて、それがまた可笑しい。


摘出した子宮の前部分・・・以前は膀胱が圧迫されて尿意をもよおしたが最後。
急いで行かないと間に合わないこともあった。
寒さがそれに追い討ちをかける。

術後は、そんな尿意の症状は治まった。
・・・そうそう、以前はこんな感じだった!という感じで、
どれだけ圧迫されていたかが、よ~~~くわかった。


そして、後ろ部分は椅子などに座るときに、圧迫されるような痛みが、
座面・・・でん部からあがってくる。
これが意外と辛い。座るときに、「うっ~!」って声を出したくなる痛み。
まだ、続いている。

便意が1日6~8回はあって、治まる様子はない。
術後の症状ってことで、いろいろ調べるも・・・
便秘になったり下痢になったりと、個人差があるみたいだ。
個人差ある上に、あまり詳しく書かれているのがないので、
自分は異常なのか? と思われ心配になる。
「過活動膀胱」という病気があるけど・・・「過活動・・・腸?」

入院中も看護師さんに聞いてみたけど「段々、よくなりますよ~」という程度。
腸も動いているし、ガスも貯まっていないし・・・
便秘よりはいい! と思わないといけないのか?


便意をもよおすと・・・もう、我慢などできないし、痛いし。
このままでは、もう、どこへもお出かけなどとってもできない。
それと・・・うっかりガス漏れなどしてしまおうもんなら、
半径数メートルの人々に・・・ご迷惑をかけることになる。
それが理由で出かけられない。
今後の人生がそんなんだったら、どうしたらいいの?と思っている。

こんなこと・・・誰にも聞けない!
母友の中には、摘出したり手術した人がいない。


うんPやおならのことを相談するなんて、迷惑よね??と思いながら・・・
2~3日、悩んだ。
結果、nakasamaに電話で相談する。

やっぱり、個人差があるようだけど、ゆっくり治っていくようだ。
安心(o^-^o) ウフッ

今日で術後21日。

昨日は歩いても、お腹に痛みが響かなかったけど、今日は痛い。
まだ、その日その日で、調子が違う。

あと・・・入院中、夜に眠れなくて2時間位で目が醒めてしまっていた。

毎朝、朝焼けと日の出を見ていた位。

で、睡眠導入剤(アモバン錠7.5mg)を処方してもらった。
これが悪いのか?? 
点滴は・・・わからんけど、
ここの病院で出してもらう薬はことごとく合わなかったかも。


導入剤歴長いダンナがその薬を見て・・・「これ、苦味が残らないか?」と言う。

あっ! 言われて初めて・・・ああ、副作用なのか!って分かった。

水を飲んでも苦い。
何か食べても、最後に苦味が残る。
退院したらあれも、これも食べたい! って思っていたんだけど、
なんということですか? 何を食べてもあまり美味しくない。

薬は5日分だったし、それも1錠は残した。
とっくに抜けているはずなのだけど、どうしてなのか??
甘い、辛い・・・しょっぱいなどは分かるんだけど、その先の旨味・・・
それが、いまいち、分からない。以前とは違う感覚。
これって、味覚障害?? 治るのかな? 食いしん坊の私には辛いかも。

今は、導入剤は飲んでいない。
眠りの浅いこともあるけど、味覚がおかしくなるよりはマシだ。

まだ、排泄障害?と味覚障害? もどきが残っているんだけど・・・
これから、どうなるのかな??


さてさて、取り出した私のブツの感想ですが、
私は、写真でしか見られなかったし、
おそらく、ハサミで切って、裏返しになった状態であったので、
インパクトは弱い。


第一印象は・・・「ホヤ」。
大きさも似てる。
やっぱり、海のものなのね~な感じ。
頭の中のBGMは「パイレーツ オブ カリビアン」
出たな~~~なブツであった。

で、筋腫は白っぽく、球状で、
それはまるで、真珠のようであった(o^-^o) ウフッ
ホヤで真珠を作っていた・・・そんな感じか?


ただ、内膜症はかなり大きくというか、ぶ厚く。
子宮内の空間がない程になっていた。
腺筋症は、よく分からなかった。


卵巣は、MRI撮影時はのう腫と言われたんだけど、
開いたら、きれいだったと。
卵巣を誉められても、なんだかね~なんだけど、
そんなことで、
左右どちらも残っている。

今後も排卵はあるようなんだけど、出した卵を受ける子宮はもうない。
どうなるの?
・・・体内に吸収されるらしい。


排卵の度に・・・以前と同じ痛みがあるのだろうか?
医師の話では、徐々に弱くなるとは言われた。
男なのに、なんでそんなことが分かるんだい? 
みたいな素朴な疑問がわいた。

入院費はtoroさんと似たような金額。
事前に健保協会に限度額適用認定申請し、保険会社へもいくら出るか確認した。
保険がおりれば、黒字である。
年末年始で、問い合わせ先のいずれも休みだったのが・・・イラっ!だった。
年明け早々、やることが山積みだったので、
申請などはできるうちに早めに済ませておかないと、
あやちゃん、ダンナ・・・とうとう私も!
申請だらけで忘れてしまう。


用事があるし、自分の家に帰りたいのだけど・・・徒歩15分、歩く自信がない。
タクシーって距離でもないし・・・
脚力的には大丈夫かと思うんだけど、痛みが歩くたびに響くことがある。

とにかく1か月検診までは、いい子にしてろ! ってことなのだろうな。
冬にシャワーだけっていうのも案外辛い。
早く暖かい湯船に浸かりたい!!


コメント(3) 
共通テーマ:健康
娘の事情 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。