ねんきん特別郵便 あてにならないと実感。 [日々のこと]
支給されている高齢者にも来るんだね~。
あやちゃんの所にも届いた。
ねんきん特別郵便。
開封して見ていたので、
分かる~? と聞くと、分かんないから、youに聞こうと思っていた・・・と。
見て驚いちゃった。
だって、既に貰っているのに・・・
確認してくれっていう書類の内容が
支給されているのと違うんだよね。
で、回答票に間違いがあると答えると・・・
じゃ、勤め先名称だとか年金の種類とか、当時の住所とか加入期間、
その年金の記号番号だとかを書き込まないとならない。
あやちゃん、それって、ある? 覚えている?
全部NO!だし・・・
答えられるのは旧姓位か?
給付年齢の65歳のときは、あやちゃんはしっかりしていたから・・・
手続きは全部あやちゃんがやっていたいたし・・・
それが壊れちゃったんだから、私に分かるわけがない!
受給していない世代が、思い出そうと努力するのはわかるけど、
支給されて9年位・・・それに、あやちゃんのは至って簡単。
なのに、なぜ、確認の資料が現実に支払われている年金内容と違っているのか?
間違ってんのはそっちなんだから・・・
なんとかしてほしいな~と思いつつ、電話をすると、
急遽パートで雇われて、つけ焼刃でべんきょ~しました!
って感じの人が出た。
説明がとっても難しい上に・・・というか、マニュアルどおりなのかな?
誰が問い合わせても、同じことしか言わないような、
そんな受け応えで、とにかく、話が噛み合わない。
こっちの質問に的確に答えてはくれず、
的を外した答えしか返ってこないもんだから、キレさせて頂きました。
あやちゃんの年金、あやちゃんに限らず・・・
年金って人生なんだよね・・・
100人いたら、100通りの年金・・・人生があるんだなと思う。
仕事運よく、新卒から定年まで、1トコロで働けた人は分かり安いだろうけれど・・・
転職を重ねたりしたら・・・
ホントに自分でも自分のかけていた年金の期間なんか、わからなくなるわけさ~。
終身雇用がないも同然になって、
バブル崩壊のあおりでリストラされちゃった人なんか、
流転の人生だったりするし・・・。
あやちゃんの場合は、その逆でもあるんだけど・・・。
というのは・・・
年金を受給する際に・・・全く予期しないサプライズがあった。
この話は長くなるけれど、私があやちゃんに幸せな晩年を送ってもらいたい・・・
そう思う全ての原点なのなので、何かで残しておきたいと思っていた。
あやちゃん、小学校2年の時に遠縁の仲介で、
北海道で鉱山を持っている資産家が、女の子がいないので、ほしがっている。
女学校も卒業させてあげる・・・という話を祖父母にもちかけられたそうだ。
貧しかった祖父母は利発な我が子の将来を考え、自分の家で育てるよりも、
この子のためになると思い、養女に出したそうだ・・・。
実際には、籍は移してはおらず、猫の子のように貰われて行った・・・
そんな感じだったらしい。
そして、聞くと行くとでは大違い。
最初から、寝たきりのお婆さんの下の世話、掃除、洗濯、ていのいい女中を、
幼い子に強いただけだった。。。
いわば、おしんの世界だ。
あやちゃんの世代は、尋常小学校・・・女学校・・・
そんな教育システムだったのだろか・・・そして、
それが変わる過渡期でもあったようだ。
勉強が好きで、たくさんできると聞かされて親元を離れたあやちゃんだけれど、
家には山のように書籍があっても、女に教育は不要。
夜に隠れて、物置で雪明りも下で本を読んだという話も・・・
義兄弟よりも成績がいいと、明らかに義母が機嫌が悪くなって、辛く当たられる。
それでも、耐えた・・・耐えるしか術はないじゃないか・・・
子どもに何ができるのだろうか。
やがて成長し、女学校へ行く話しも疑わしく思っていた矢先、
番頭さんと結婚させよう・・・そんな話を小耳に挟む。
そんな! 自分の人生が他人に決められてしまう!
女学校にも行けないなら、
こんな家に居る理由など、なにもない!
丁度、その頃、祖母(あやちゃんの母)が訪ねて来て、
内緒で耳打ちをした・・・
「辛かったら、いつでも帰って来てもいいんだよ」と・・・
祖母なりに現状を察っしたと思ったらしい。
なので、今でいう中学校2年生の頃に、
事情を知っている友達の協力を得て、家出計画を進めた。
毎日、少しずつ荷物を窓の下に放ると・・・友達が自分の家の納屋に隠す・・・
そうして準備をし、ある夜、最終列車でそこの家を後にする。
その時に、北海道から青森の更に田舎まで送ってくれたのも、
友達の兄だったそうだ。
国鉄に勤めており、最終列車だと見つかっても追いかけて来られない。
海を渡る青函連絡船には大人同伴でないと、怪しまれる・・・
大人らしい知恵も授けてくれた。
いろんな人、友達の協力を得て、あやちゃんの脱出は成功した。
でも、帰ってみると、大好きだった父は戦死し、
見たこともない弟、妹(やすちゃん)が、狭い家にひしめいていて、
貧困そのものだった。
まがりなりにも、お屋敷暮らしで食べる物にもこと欠かなかったあやちゃん、
一気に長屋暮らし、貧乏暮らしとなった。
田舎の学校へ転校し、進路を決める頃、
校内で成績優秀な生徒数名に看護学校へ行かないかという話がされた。
その中にあやちゃんも入っていたそうだ。
祖母は高校へでも看護学校へでも行かせてくれるとは言うものの・・・
当時、看護学校は全寮制で(田舎だったからかもしれない)、
その持っていく布団が用意できないとかで、
高校の普通科へ入学するのだけれど・・・
入学はしたものの、学費を滞納するということになってしまう。
家が貧しいのもわかっているし、
母親は払ってあげると口では言うものの・・・
実際は払ってもらえず、
あやちゃんはとうとう、退学を決意する。
するとある日、校長から呼ばれ・・・
こういう方法もあるが、どうかと打診された。
それは「昼は学校事務をして働き、夜学に通わないか?」という話だった。
学び続ける道が開け、嬉しかった出来事だと思う。
そうして、働きながら夜に学ぶことができたのだけど、
自分が働いているときに、それまで同級生だった友達が、学び、遊んでいる。
言葉は悪いが、自分より出来の悪い子が、
そんなに勉強を好きでもないのに学校へ通っている。
貧乏なために、こんなに勉強が好きなのに、働いていなくてはならない。
とっても悔しかったと語っている。
多感な時期に自分の人生をどう思ったのだろうか・・・。
朝から晩まで、学校に詰めっきり、4キロある道のりを歩いて通った。
冬の夜の帰りの雪道は寒くて、冷たくて、哀しくて、
惨めな通学路だったろうなと想像される。
そうして稼いだ給料も、自分の自由になる訳もなく、
母親に渡し、食べる金、暮らす金、生きる金へと変わってしまう。
よくぞ、ぐれなかったな~と思う。
結婚後も病気の義母・夫を支えて・・・働いて、
なのに夫はあやちゃんの願いも虚しく亡くなり。
なので、あやちゃんは子どもの頃から、
他人や家族の面倒をみ続け、自分のため・・・なんてことは何ひとつなかった。
そうして、夜学なので4年かかったのであろう・・・
その後、地元の企業に就職した。
そこで、民営化などで、ついていけないと感じたのだろう。
定年まではいなくて・・・35年勤め、退職した。
年金受給者となった65歳の時の嬉しいサプライズだが・・・
ある時、どこかからか電話がかかってきた。
あなたは、15歳から19歳までの間、どこどこの学校で働いていませんでしたか?
本人であれば、その分の年金が支給されます。
そんな電話だったらしい。
その年齢といえば、年金ってなに? みたいな年頃だ。
給料天引きだったことさえも、分からなかった・・・
そして、そんな昔のことはとっくに忘れていた。
それに何度も転居しているのに・・・よく現住所が分かったものだ。
当事者が忘れていたことを、
どこぞの誰かがしっかりと記録してくれていて、覚えていてくれて、
その分が、加算されて、貰えるというのだから・・・
その時に、辛くて、哀しくて、悔しかった思いが報われる。
そんな出来事だった。
・・・正直に生きてよかったね~。
あやちゃんが頑張って生きてきたからだね~って・・・
本当に嬉しい出来事だった。
本人確認とか、手続きが必要だったと思うが、
全部、あやちゃんが自分でやったので私は何もわからない。
そして、話を戻すと・・・今回のねんきん特別郵便に、
その4年間のことがすっぽりと抜けていた。
それは今回記載されている昭和27年以前なのだ。
なので、それ以前にも掛け金を払っている・・・と言うと、
「その時代には年金制度はなかったので、おかしい」と言い張る。
そう言われると、もしや、不正受給しているんじゃないかって気になってくるじゃないの?
記載されていないけれども、2か月に1度、きちんと支払われているのだ。
これをどう説明する?
なのに、なんで社会保険事務所がそれを把握できていないか・・・
電話で本人確認してもらい・・・(口頭で生年月日・住所などの確認だけなんだけど)
届いた書類のナンバーなどから、
調べてもらったら、ちゃんと記録が残っているではないか。
何をどう見たのか、電話なので分からないが・・・
きちんと見れば、ちゃ~んとあるんじゃないか??
問い合わせの電話をしても、そんな風に軽いあしらいなのか・・・
あやちゃんの歩いた道は「共済年金制度」であり、
その後、民営化されたので、厚生年金に切り替わっているはず・・・。
その前の学校のも「公立学校共済組合」というものらしく・・・
どっちも共済系なので、その制度・名称が変わってしまった。
年金にもいろいろ種類があって、公的なものよりも共済系の方が、
導入が早かった・・・
それで分かりにくく、共済については勉強不足でも申し訳ないと・・・
電話の向こうで、素直に謝ってもらえた。
私の記憶もいい加減なんだけど・・・
年金制度もいろいろ種類があって、
ややこしいので、何年か前にそれらの情報を一元化し、分かりやすくしたはず。
それを電話に出た人が分からなくて・・・
その為に間違ったようなのだけど・・・
きちんと調べれば記載されており、分かるものが・・・
私が怒らないと、そこまでたどり着けなかった?
気の弱い人だったら、そのままで相違ないと諦めないとならないだろうし・・・
高齢者が理解できる範囲でもないと思った。
そして、言ってみれば、不手際な書類を送りつけておきながら、
調べるのに、とっても時間がかかって・・・
私ったら、とってもイライラしてしまったのだった。
どういう管理方法になっているかは分からないけれど、
つまりは、全ての基本となる年金加入記録? 台帳どおりには、
年金特別郵便の確認書は作成できていない・・・
そんなこともあるんだということがよ~~く分かった。
本末転倒ぢゃ~ないの?
ミスの上にミスを重ねると・・・何がミスだか分からなくなる。
そんな感じか?
あやちゃんは、とっくに支給されているから、
その間違いが分かったけれど・・・支給される以前なら、
「相違ございません」と送り返し、それが、
今後、本人確認済みの「年金加入記録の台帳」として、
永遠に残るのか・・・と思った。
そして、その書類は予算がないのか・・・複写にもなっていなくて、
手元に残らない。
なので、デジカメで写しておいた・・・便利だわ~、デジカメ。
我が家はまだ、届かないのだけど・・・
これは、心配だな~~。
ダメダメね~社会保険庁って、実感したのだった。
ま~~~~~~~ったくアテになりません阿保庁。
我が家のお母ちゃんにも来ましたよ、年金とっくにもろてるっちゅうねん。
どないせえ言うのか、ほんま。
幸いにも元気だけれど、そうは言っても桝添ハゲの質問には答えられまへんで。知らん知らん知らん。youさんみたいにしっかりした娘がいたらよかったのに、気の毒な我が家のお母ちゃん(涙)。
by rabi (2008-05-02 20:24)
だんママにも届きましたよ。
だんちゃんにも数ヶ月前に・・・
自分たちだってあれを見て「なんなんだこれは〜〜〜?」なのに・・・
すでに受給している高齢者の人達に送ってわかるわけがないですよね。怒りを通り越して脱力しました・・・
多分ほとんどの人のところに届いているのではないでしょうか?
返信がなければ切り捨てるつもりか?
だんママは昔、現況届けを出し忘れて年金ストップされたこともあり、今でもトラウマになってるみたいで・・・年寄りの不安をあおってどうすんだ(ーー;)窓口で怒ってる人もいっぱいいます。
ちゃんと1人1人きちんと調べてから送ればこんなぐちゃぐちゃにはならないと思うのにね。
いいかげんなやっつけ仕事でさらに税金使って・・・
この国はどうなるんだろう?
by nakasama (2008-05-02 22:30)
*rabiさま*
お母さんは・・・どないしたん? 貰ってないとか?
枡添君、期待していたんだけど・・・長く蓄積された悪政なもんだから、
大臣変った位では、どうにもならないことってあるのね。
大臣、ころころ変るし。長い社会保険庁の体質、本当に改革してほしいです。
みんなクビでいいんじゃないの? って思っちゃう(´艸`)
*nakasamaさま*
やっつけ仕事だよね~~。
おかしいと思うのは、既に支給されているのに・・・確認書類が支給内容と違うってこと。
そして、きちんと調べれば、本当のが出てくるのに・・・
いかに、能力のない人間の片手間仕事っていうのが、バレバレ?
給料泥棒って言うんじゃないの?そういうのが・・・って思うよね。
で、そんな能力がないくせに、クビにもならないし、普通以上の給料をもらい、勤めあげれば、驚くほどの退職金が入る・・・
おかしいよね。
民間はもっともっと厳しいぞ~~!
by you (2008-05-07 21:07)